重いドアを開けた話
玄関のドアを開けようとしたら、ドアがものすごく重かった。
外から誰かが押し戻しているかのような感覚。
さては友人のイタズラだな。
そう思った私は、「パワー!!」と言いながらドアを思いきり押した。
ゆっくりとドアが開き、外に出ることができた。
しかしそこには誰もいない。強い風が吹いていただけだった。
友人のイタズラではなく、風のイタズラだった、ということである。
さて、視点を変えて考えてみよう。
あるアニメの主題歌の歌詞に「愛と勇気だけが友達さ」という部分がある。
「愛」と「勇気」は友達になり得るということだ。
この理論に基づいて考えると、「風」を友人だと主張するのもアリだと言える。つまり、
風にイタズラされた = 友人にイタズラされた
ということである。
そう。私は友人にイタズラされたのである。
・・・という理屈をこねたところで、「誰もいないのに『パワー!!』と言いながら外に出てしまった恥ずかしい自分」がいるという事実は消えないのだが、人間はどうにかして自分の行為を正当化したい生き物なのである。
失敗したことを後から振り返って、「あれがあったから今がある。あの失敗があって良かった」と考える。そうすることで、自分のやってきたことは間違いではなかったと思うことができる。
そうしないと心が崩れてしまう。
無意識レベルでやっていることだと思うが、これは生きるための工夫と言えるのかもしれない。
さあ、どうにかして今日も生きよう。