ただ今、鎖国しております。

答えは自分の中に

「決断が遅い」を肯定してみる

「決断が遅い」というのは一般的に悪いことだと考えられている。決断が遅いためにチャンスを逃すこともある。どうしようかと悩んでいる時間が長いと、時間をムダにしているように思える。

確かに決断が遅いことのデメリットは多い。しかしここであらためて考えてみる。決断が遅いのは本当に悪いことしかないのか?

例えば飲食店でメニューを見ている時。「どれにしようかな」と悩んでいる時間は一見ムダなように思える。しかしそれは、何を重視しているかによって変わってくる。「食事は栄養を摂るためだけのもの」と考えている人にとっては、何を食べるかに悩むのはムダである。しかし、「食事は人生に彩りを添えるもの」と考えている人にとっては、何を食べるかを決めるのは悩むべき価値がある問題だと言える。

もっとシンプルに考えてみる。「あれもいいな、これもいいな。どれもおいしそうだなぁ」などと考えている時間は、単純に幸せなのではないだろうか。料理を食べるのが目的で、そのために注文を決めるのが普通だが、注文を決めるという「目的を達成する前の過程」をも楽しむことができるなら、総合的な充実度が高まることになる。

 

もちろん、どういう分野の決断かによって違うだろう。しかし、「決断が遅いのはムダ」というのが絶対的に正しいとは言い切れないのではないかと思う。

 

などと理屈をこねて決断が遅いことをなんとか肯定してみたわけだが、やはり決断が遅くて損をする場合が多いようにも思う。決断が早くできるならその方がいいだろう。しかし、「自分は決断が遅いダメな人間だ」と考えて心を病んでしまうくらいなら、理屈をこねていた方がいい。

自分の心を自分で守ろう。